気まぐれクックが大丈夫になった
「あれ、ふきのとう食べれるやん」
母が意外そうにそう言った。ダメ元でいったったけど、イケたな。みたいな目で見てくる。
なんだ、私は試されてたのか。「通るのか…っ!?」とか思いながら食卓にふきのとうを出していたのか。打牌か?
人生において、急に何かを受け入れられる時が来る。ふきのとうもそうだし、ウニも急に食べられた。日本語ラップも急に好きになった。
なんでだろう。それは自分の脳なのか舌なのか胃なのか目なのか。どこかのパーツの門番が「まあいいか」と、急に警備を緩める時が来る。で、一度侵入を許すと急に全部OKになる。しかも、長年押さえつけられていたからなのか、その反動がすごい。大嫌いから、急に大好物に昇格することがしばしばある。初恋と同じである。
ただ、決まっているのは、「その時」が来るのは、いつもそれらに興味がない時だった。
気まぐれクックが駄目だった。生理的に駄目だった。声が無理。喋り方が無理。顔が無理。「〜していくぅ」が無理。なんだあれ、卑猥だ。全部無理だった。元カレと同じである。
しかし、午後3時の心地よい日がさしていた昨日。
気でも触れたのか、YouTubeのオススメに出ていた彼の動画を再生していた。深層心理で臭いものが嗅ぎたかった、怖いものが見たかったのかもしれない。人体はまだまだ未開の地だ。
コナンのCM明けのごとく、重々しい扉が開いて、その先から眩しい光が差す。眩しさに怯えてゆっくりと瞼を開くと…
なんかいけてた。
なんで?そんなに嫌うほどの声じゃないじゃん。喋り方上手じゃん。すっごい丁寧に捌き方教えてくれてるじゃん。美味しそうに食べてるじゃん。あ、ごめん顔はちょっと無理かも。あー、ごめんってズームしないで。
こんな感じで、もっと他にも駄目なものを受け入れられる様にならないだろうか。ちょいちょい人生の邪魔をしてくる駄目なものがある。
例えば、犬が死ぬ(または虐められる)シーン。やめてくれ…どんなにいい作品でもそれがあるだけで見れないところが出来てしてしまうじゃないか…(ボンド(犬)が虐められるシーンがあるので、『スパイファミリー』が見れない)
逆剥けが見れない。もう文字さえいやだ。だって普通じゃないやんあんなの。人体の中で逆方向に進むものなんてあって良い訳がない。
あーまって文字打ってても嫌だ。やめるこの話。小林製薬よ、あんな直球なCMはやめてくれ。生理用品ぐらい抽象的なCMにしてくれ。
今年の誕生日はこの二つが「なんか大丈夫」になる様にお願いしようかな。でも逆剥けはともかく、犬虐めるの大丈夫になるの嫌だな。イキッた中2みたいでやだ。あと犬好きやし。
ともかく、自分が勝手に壁を作っていたものに対してアクセスできる様になるのは嬉しい。最近はなんでも記録に残るから、出遅れたと感じることもなく楽しめる。私の気まぐれクックライフもこれから始まるのかもしれない。
追記、やっぱり無理かもしれん。